鬼怒川決壊、災害というものは間接的にでも当事者にならないと実感が湧かないものだと考えさせられました。
記録として書いておこうと思います。
2015/9/10(木) 鬼怒川決壊当日
避難指示が出ているのを見て妻と連絡をとる。
時間が掛かるも、無事、水海道第一高等学校に避難できていることが確認できる。
2015/9/11(金) 決壊2日目
サポートに行きたい気持ちはあるが情報を見る限り水が引いておらず行くに行けず。
避難していた家族は豊岡町の親戚宅へ移動していたので、ひとまず安心。
2015/9/12(土) サポート初日
なんらかのサポートをしに行く準備を妻と進める。
食料と水、衛生用品。
午前中に避難していた親戚家族が自宅に入る。
姪が送って来た、散乱した様子の写真を見る。
親戚宅へ移動に、ホンダのInterNAVIが使えた。
通常止めで渋滞が起きている中、比較的スムーズに妻の実家までたどり着けた。
送電が止まっているので、信号機が使えずところどころ警察官が交通整理していた。
DMATと貼られた車両と自衛隊車両を多く見た。
救急車が何台も稼働していた。
水海道 妻の実家に着いて感じたこと。
まださほどキツイ臭いではないが下水の臭いが漂う。
床上浸水した1階の物を外に出す。
畳が水を含んで大人4人でも出すのが大変。
ある程度の対応をしてこの日は撤収。
水道が出ないのが辛い。
2015/9/13(日) サポート2日目
この日は午後出発。
通行止め範囲は狭まっており渋滞箇所も距離も減少していた。
一部、送電機能が回復していて、信号機が復旧しているところも。
まだまだ部分的ですが。
この日の妻の実家は、生ゴミ的な臭いがきつくなっていました。
これから衛生面、健康面が心配されます。
何と言っても水が出ないのが大変です。
消毒液の配布があり、その際に祭りが行われる商店街と市役所脇を通ったのですが、市役所で給水していることもあり、比較的清掃が進んでいる印象を受けました。
給水所が市役所と近くのスーパー駐車場にあるようですが、なかなか往復するのも難しいものです。
小さな給水車などを展開させられたら良いんじゃないかと思います。
2015/9/16(水) サポート3日目
妻が1人でサポートへ行った。
片付け自体は概ね終わっていたそうですが、軽く知り合いの業者に見てもらったところ、床などは張替えが必要みたいでした。
電気は復旧したようですが、水道がまだ復旧しません。
また、関東鉄道常総線もまだです。
Simple・Slimに生きるようにしようと思う
今回のことをきっかけとしてシンプルかつスリムに生活出来るようにしたいと考えています。
一旦、いろいろな活動は控えて、そこに集中したいと思う。
第一歩として片付け。
これだな。