無理して違和感のある環境に身を置くことは無い 20190508

日々の瞬間を綴る

無理して違和感のある環境に身を置くことは無いという話し。

ふと思い出したので書きとめておく。

何度も経験してきたことで、違和感のある環境に身を置きすぎると、またやっちまった的な感覚になる。

ちなみに今(2019/5)現在の話しではない。

100人いれば100通りの考えや感じ方があるだろう。

同じものを指して、あるいは目の前にある物の話しをしていても同じ感覚ではあるが100%同じように捉えていることは無いはず。

だから違和感のある環境というのも自分なりの感じ方で考えて欲しい。

私の違和感は全体最適化ができなくなる時に現れる。

そのような状況の時、たいてい人が絡んでいることが多い。

直接的もしくは間接的に。

直接的なのは対個人に対する違和感。

間接的なのは対チームに対する違和感である。

対個人でいうと嫌がらせのようなものだ。

当人はその気は無いということのようだが、陰湿極まりない。

いろいろ経験されてきているようだが、その経験をここぞとばかりに出してくるのだ。

こうなると自然と足も遠のいていく。

すでにこちら側は違和感全開なので戻りようがなくなっているのである。

対チームはどうか。

直接的、間接的にせよ同調圧力に違和感を感じる。

そのチーム内外で問題がある場合が多い。

半世紀生きてきているが聖人君子にはなれないので、同調圧力を感じた時、私にとってはすでに終わりの時のようだ。

嫌がらせであれ同調圧力であれ、そこに対峙するつもりはない。

去るだけだ。

まぁあれだね。

今の時代、違和感がある場に無理にいる必要はないということ。

自らが死んでしまうような環境なら去れば良い。

そのような環境から去れるように常に自己研鑽はしないとね。

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